東京高等裁判所 平成8年(行ケ)149号 判決 1997年1月30日
東京都文京区本郷3丁目27番15号
原告
株式会社サンエイ
代表者代表取締役
山崎尚重
訴訟代理人弁理士
西良久
鹿児島県鹿児島市千日町15番1号
被告
有限会社薩摩蒸氣屋
代表者代表取締役
山口学
訴訟代理人弁理士
鈴木正次
同 弁護士
佐藤成雄
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者が求める裁判
1 原告
「特許庁が平成5年審判第21846号事件について平成8年3月28日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、「蒸気庵」の文字を横書きしてなり、指定商品を平成3年政令第299号による改正前の商標法施行令別表第11類「菓子、パン」を指定商品とする登録第2163990号商標(以下、「本件商標」という。)の商標権者である。なお、本件商標は、訴外株式会社プロデユースにじゆういち(以下、「前商標権者」という。)が昭和62年4月24日に登録出願し、平成元年8月31日に設定登録がなされたものであり、原告は、平成6年10月6日、前商標権者から本件商標の商標権(以下、「本件商標権」という。)を譲り受けたものである(平成8年5月13日移転登録)。
被告(審判請求人)は、平成5年11月17日、前商標権者を審判被請求人として、本件商標の登録を取り消すことについて審判を請求し(平成6年1月10日審判請求の登録)、平成5年審判第21846号事件として審理された結果、平成8年3月28日、「登録第2163990号商標の登録は、取り消す。」との審決がなされ、その謄本は平成8年7月1日前商標権者に送達された。
2 審決の理由の要点
(1)被告の主張
<1> 本件商標は、日本国内において、継続して3年以上、商標権者、専用使用権者又は通常使用権者のいずれもが、その指定商品「菓子、パン」について使用していない。
よって、本件商標の登録は、商標法50条の規定により取り消されるべきである。
<2> 前商標権者は、パッケージ(包装用紙、包装箱、包装袋等)デザインの企画、製作、販売、菓子店経営コンサルタント、包装資材の製造、販売を主要な目的とする法人である。
そして、被告の前身ともいうべき「株式会社月ヶ瀬製菓」は、昭和61年9月ころ、前商標権者に店舗、包装紙、商品名、商店名等一切の企画・デザインを依頼した(以下、「本件コンサルタント契約」という。)。被告は、本件コンサルタント契約に際し、商標「蒸気屋」、「蒸気庵」、「かすたどん」を被告の業務に係る商品「菓子パン」について登録出願することも前商標権者に依頼しており、そのための費用も支払った。
このように、前商標権者は被告のために本件商標の登録出願をする債務を有していたにもかかわらず、前商標権者は、不当にも本件商標の登録を自己名義で受けたものである。
したがって、本件商標の登録は、商標法53条の2の規定により取り消されるべきものであり、被告は本件商標の登録を取り消すことについて法律上の利益を有する。
<3> 前商標権者は、「本件商標を登録した上で被告に平成2年3月迄専用使用権を許諾しており、被告が独占的に本件商標を使用していた」と主張するが、被告は本件商標権について専用使用権の設定を受けたことはない。
また、前商標権者は、平成4年3月23日付け被告宛請求書において、「貴社に専用使用権、通常使用権も許諾したことはない」と述べている。また、「企画料名目で支払っていた使用料を支払わなくなったにも拘わらず、現在も使用していることから右商標の使用禁止を求めて商標権使用の仮処分、申請を為し」と主張しているが、被告は前商標権者から本件商標権についての通常使用権の許諾を得たことも、使用料を支払ったこともなく、前商標権者が援用する見積書又は請求書には、商標権の使用料に関する何らの記載も見当たらない。ちなみに、本件商標登録前の請求書の記載と、登録後の請求書の記載との間に何らの差異がないことをみても、前商標権者の上記主張が虚偽であることが判る。
元来、本件商標は、被告の代表者が昭和61年12月ころ使用を決定するとともに、前商標権者代表者に登録出願手続を依頼し、必要な費用を支払ったが、その後、被告の商号に合わせて「薩摩蒸気屋」として使用しているものである。しかし、前商標権者は、被告の当初の依頼に従って、「蒸気屋」、「蒸気庵」の商標について登録出願し、登録を受けたものである。
本件商標は、昭和61年12月当時が、明治百年祭と、蒸気機関車がなくなり国鉄がJRの社名に変わる時期に当たり、かつ、被告が蒸し菓子製造販売の専門会社であることを考慮し、従業員等の意見を聞いた後、二階喫茶室の名称として被告代表者が決定し、前商標権者に登録出願を依頼したものである(したがって、本件商標を表した包装材の印刷は依頼していない。)。
このように、被告は、本件商標に関して前商標権者から指導を受けたことはなく、いわんや本件商標は、前商標権者が創案したものではない。この点は前商標権者も十分承知していたが故に、その作成した企画書、請求書等には、本件商標に関する記載は一切存しない。
また、商標権の使用料は、商標権者と使用権者との間で使用許諾契約を締結し、この契約に基づいて支払われるものである。しかるに、本件商標に関しては、何らの使用契約書もない。のみならず、原告が喫茶室の名称に使用している商標に多額の使用料を支払うことは、この種の業界の慣行ないし常識を越えたものである。
被告は多数の商標権を有しているが、新店舗開店時に採用する商標については、デザイナー又はコンサルタントあるいは印刷業者に、費用先払いの上、登録出願を依頼していたが、今まで1度もトラブルがなかったので、本件商標の登録出願を前商標権者に依頼したものである。したがって、本件商標は被告の名義で登録出願されているものと信じており、その使用料の支払い等は全く考えていなかった。したがって、本件商標が前商標権者の名義で登録された後も、正当な使用者として本件商標を使用していたのであって、前商標権者の使用許諾を得て使用していたのではない。
以上のとおり、本件商標は、前商標権者が使用していないことは勿論、専用使用権の設定あるいは通常使用権の許諾もなされていないことが明らかである。したがって、本件商標がその登録日(平成1年8月31日)以後、使用されていないことは明白(前商標権者も認めている。)であるから、その登録は商標法50条1項の規定により取り消されなければならない。
<4> 前商標権者は、被告に対して、本件商標権の使用を認め、使用料の支払いを受けていた旨主張するが、被告は商標権の使用料として前商標権者が主張する金額を支払ったことはない。
前商標権者は「被告に専用使用権を許諾し、商標使用料を取っていた」旨主張する。しかし、「専用使用権」というからには、商標登録原簿にその旨が登録されていなければならないが、そのような登録は存在しておらず、登録の前提となる専用使用権設定契約書も存在していない。
前商標権者は「企画・デザイン料」の名目で商標使用料を請求していたと主張するが、「企画・デザイン料」が「商標使用料」に該当する旨の説明はなく、被告は前商標権者が請求する金額を「企画・デザイン料」として支払っていたにすぎない。前商標権者は、被告を「専用使用権者」と決め付け、専用使用権者が本件商標を使用しているから本件商標は使用されているというが、被告が商標法上の専用使用権者でないことは前記のとおりであるから、本件商標は専用使用権者により使用されていたと認定されうるものではない。
なお、前商標権者は、被告との紛争が生じたので自発的に本件商標の使用を差し控えたことを、本件商標を使用しないことの正当な理由と主張するが、前商標権者には店舗もなく、本件商標を使用する意思も認められないから、上記事実は本件商標を使用しないことの正当な理由には該当しない。
(2)原告の主張
<1> 前商標権者は、菓子店経営コンサルタント・パッケージデザインの企画製作等を業とする会社であり、昭和61年9月ころ、被告から経営の改善・店舗の活性化を依頼されて本件コンサルタント契約を締結し、被告の店舗・商品につき基本コンセプトの設定・設計・デザイン等を請け負った。そこで、前商標権者は、被告に鹿児島市千日町に出店するよう指導し、その店舗名を「薩摩蒸気屋」と命名し、同店舗の設計・ディスプレイをするとともに、取扱い商品の商標として「蒸気屋」、「蒸気庵」、「かすたどん」(以下、「各商標」という。)を案出し、その包装紙、包装箱、包装袋等のパッケージのデザインを企画・製作した(なお、被告は、前商標権者の指導に基づき、昭和63年2月16日に、その商号を現商号に変更した。)。
当時、被告の関心は、専ら経営の改善・売上高の増大にあり、各商標の登録についてはその費用にも窮するような状態にあったので、企画・立案者たる前商標権者が当然に自己の名義で各商標の登録出願をし、本件コンサルタント契約の期間内は被告に専用使用権を設定して各商標を使用させ、その使用料は同契約における企画料に含ませていた。したがって、前商標権者は、各商標についていずれも登録を受け、商標権を有している。すなわち、前商標権者は、上記のように企画・コンサルタント会社であり、自社の利益を確保するために、自社が案出・命名した商品名等については、自社の権利として商標登録出願をし、登録を受けたものである。
被告は、その間、「薩摩蒸気屋」の標章を印刷した看板・包装紙・紙袋を使用して、飛躍的に業績を向上させ、また、「かすたどん」の名称を付した菓子を製造販売して莫大な利益を上げ続けている。
<2> 前商標権者は、各商標が登録された後は、商標権の使用料を、平成元年分のコンサルタント料として第3号店の企画料に含ませ、受領してきた。すなわち、第1号店の企画料は500万円、第2号店の企画料は600万円であったが、第3号店に関しては、各商標も登録され、「かすたどん」の商標を付した菓子が爆発的に売れていたため、商標権の使用料として月当たり100万円、年間1200万円を第2号店の企画料に上乗せして、1800万円を請求したものである。ところが平成2年になると、各商標を付した菓子類の販売が軌道に乗り、売上げも極端に増大して経営が安定したため、被告は前商標権者の指導助言を一切聞かなくなり、本件コンサルタント契約を打ち切って、企画料及び商標権の使用料を一切支払わなくなった。そこで前商標権者は、被告に対し、各商標の使用を止めるよう内容証明郵便を出したが、被告は各商標の使用を止めないため、商標使用差止めの仮処分を申請し、現在鹿児島地方裁判所において係争中である。
<3> 以上のように、本件商標権については、前商標権者が登録時から被告に専用使用権を設定し、被告は本件商標を使用した菓子類の製造販売を行ってきたのであり、その後、商標権の使用料の支払いをめぐって被告と前商標権者との間に争いはあるものの、専用使用権を持つ被告が本件商標を使用して菓子類の製造販売を行っているものである。
前商標権者は、被告の本件商標の使用を差し止め、第三者に本件商標権の使用を許諾しようとしているが、無用のトラブルを避けるため、自己又は他の者による本件商標の使用を控えているにすぎない。
したがって、本件商標については商標法50条1項所定の3年間の不使用の事実はなく、また、前商標権者による本件商標の登録出願は同法53条の2の規定に該当しないので、本件商標登録の取消請求は却下されるべきである。
(3)判断
商標法50条の規定による商標登録の取消審判の請求があったときは、同条2項の規定により、被請求人において、その請求に係る指定商品について当該商標を使用していることを証明し、又は、使用していないことについて正当な理由があることを明らかにしない限り、商標登録の取消しを免れない。
しかるに、前商標権者は、本件商標権について被告に専用使用権を与えて使用させ、その使用料を企画・デザイン料として請求し受領したと主張し、請求書の写しを提出している。しかしながら、商標権の使用許諾は契約によってなされ、当事者において契約書を作成するのが通例であるにもかかわらず、前商標権者が提出した証拠を総合勘案しても、使用許諾契約書等、そのような契約がなされた証拠はなく、他に、前商標権者が被告に対し本件商標権の使用を許諾したと認めるべき証拠もないから、被告に本件商標を使用させていたという前商標権者の主張は採用できない。
以上のとおり、前商標権者提出の証拠によっては、本件審判請求の登録前3年以内に前商標権者もしくはその使用権者が本件商標をその指定商品について使用していたとは認められない。そして、前商標権者は、他に本件審判請求の登録前3年以内に日本国内において本件商標をその指定商品について使用していたことを主張立証せず、また、前商標権者が本件商標を使用しないことについて正当な理由も認められない。
したがって、本件商標の登録は、商標法50条の規定により取り消すべきものである。
3 審決の取消事由
審決は、事実の認定を誤った結果、被告が本件商標権の使用を前商標権者から許諾されていたとは認められないとして本件商標登録の取消しを認容したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1)前商標権者は、本件商標の登録後、被告に対し本件商標権について独占的な通常使用権を許諾し、被告はこれに基づいて、平成4年4月6日まで、本件商標をその指定商品である菓子、パン類に使用していたものである。
この点について、審決は、商標権の使用許諾の際は契約書が作成されるのが通例であるのに、本件商標権については使用許諾契約書等の証拠がないことを説示している。しかしながら、通常使用権の許諾は黙示の意思表示で足りるところ、被告による本件商標の使用に対して前商標権者が差止請求等を全くしなかったことは、前商標権者が被告に対し本件商標権の通常使用を黙示的に許諾していたことを示すものである。そして、本件商標権の使用料は本件コンサルタント契約に基づく対価(以下、「コンサルタント料」という。)に含まれるとの合意も、黙示的になされていたと考えるのが相当である。
(2)被告は、平成4年4月7日に前商標権者を債務者として申し立てた商標権処分禁止仮処分命令申請事件の申請書において、前商標権者がその名義で本件商標の登録出願をしたことを平成元年10月ころ知った旨を主張しているが、その半面、被告は、平成元年11月8日に第3回コンサルタント料、平成2年1月10日に第4回コンサルタント料、同年3月30日に第5回コンサルタント料を前商標権者に支払っている(ちなみに、前商標権者が、被告のコンサルタント料不払いを契機として、被告に対し本件商標の使用差止めを請求したのは、平成4年3月23日である。)。
この経過からすれば、被告は、少なくとも平成4年4月6日以前は、本件商標の使用は前商標権者の使用許諾に基づくものであることを自認しているというべきである。
第3 請求原因の認否及び被告の主張
1 請求原因1(特許庁における手続の経緯。ただし、本件商標権が平成6年10月6日、前商標権者から原告に譲渡されたとの点を除く。)及び2(審決の理由の要点)は認めるが、3(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。
2 原告は、前商標権者は被告に対し、本件商標権についての通常使用権を許諾し、被告はこれに基づいて本件商標をその指定商品である菓子、パン類に使用していたと主張する。
しかしながら、前商標権者から被告に対する平成4年3月23日付け通知書に「通知会社は貴社に対し、通常使用権・専用使用権共に付与した事実はなく」と記載されていることからも明らかなように、被告が前商標権者から本件商標権についての通常使用権の許諾を受けた事実はない。また、被告は、本件商標を、その登録の前後を通じて、指定商品である「菓子、パン」について使用したことは一度もなく、本件商標の標章を印刷した包装紙等の準備も全くしていない。
3 原告は、本件商標権の使用料はコンサルタント料に含まれるとの合意が前商標権者と被告との間で黙示的になされていたと主張する。
しかしながら、被告は、本件コンサルタント契約締結と同時に各商標の登録出願費用を前商標権者に支払い、前商標権者から商標登録には時間を要すると説明されていたので、各商標について前商標権者がその名義で登録出願をするとは考えてもおらず、コンサルタント料の支払いを続けていたのである。したがって、本件商標権の使用料はコンサルタント料に含まれるとの合意が存在するという原告の主張は、全く事実に反する。
4 そもそも、商標登録は、「自己の業務に係る商品について使用をする商標」(平成3年法律第65号による改正前の商標法3条1項柱書)について受けることができるものである。しかるに、前商標権者は、第三者による同標章の使用を制限する目的をもって、使用の意思のない本件商標の登録を受けたものであり、原告も、専ら被告による本件商標の使用を阻止し損害賠償を請求する目的をもって、使用の意思のない本件商標の商標権を譲り受けたと推定される。
前商標権者及び原告のこのような行為は、商標登録制度の趣旨に悖るものであって、許されない。
第4 証拠関係
証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
第1 請求原因1(特許庁における手続の経緯。ただし、本件商標権が平成6年10月6日、前商標権者から原告に譲渡されたとの点を除く。)及び2(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。
また、成立に争いのない甲第1号証(商標登録原簿)によれば、原告が、平成6年10月6日、前商標権者から本件商標権を譲り受けたことが認められ、これを左右する証拠はない。
第2 そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討するに、原告は、前商標権者が被告に対し本件商標権について独占的通常使用権を許諾しており、その使用料はコンサルタント料に含まれるとの合意もなされていたと主張するが、そのような許諾ないし合意が、前商標権者と被告との間において黙示的にもせよなされていたことを認めるに足りる証拠は存しない。原告が援用する甲第7号証(前商標権者代表者作成の報告書)には原告の主張に沿う記載が存するが、この記載内容は、成立に争いのない甲第8号証(前商標権者作成に係る昭和62年4月1日付け「新店舗の企画に関する報告書」)に本件商標を含め、商標の登録出願についての記載が全くみられないこと、成立に争いのない乙第1号証(前商標権者から被告に対する「通知書」)に、通知会社は貴社に対し、本件商標権等について通常使用権・専用使用権共に付与した事実はない旨明記されていることが認められることに照らすと、とうてい措信することができない。
のみならず、そもそも、被告が本件商標をその指定商品である「菓子、パン」について使用した事実自体が、本件全証拠を精査しても認定できないから、原告の前記主張を採用する余地がないことは明らかである。なお、被告が本件商標をその指定商品について使用した事実がないことは、成立に争いのない乙第2号証によれば、前商標権者が被告を債務者として申し立てた商標使用禁止仮処分命令申立事件の申立書において、債務者(被告)が使用しているとする標章目録に、本件商標の標章が含まれていないことからも、疑いの余地がないというべきである。
以上のとおりであるから、審決の認定判断は正当であって、本件商標の登録を取り消すとした審決に原告主張のような誤りはない。
第3 よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)